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小田原城の天守閣を木造に建て替えよう。小田原の歴史をあらためて学びながら、小田原の市民から集めた資金で、小田原の職人を総動員して、小田原の森で伐採した木材を使って。小田原では今、そんな「地産地消型お城づくり」のようなスケールの大きいプロジェクトが動きはじめています。

鉄筋コンクリートの天守閣はもういらない。

みなさんは、小田原城をご存知ですか?ぼくら地元民にとっては、箱根の玄関口である小田原のランドマークであり、その周辺も含めた西湘エリアのシンボルでもあり、また東京駅を出発した東海道新幹線の乗客にとっては、車窓から最初に見える城でもあります。築城は、15世紀。戦国時代には、豊臣秀吉に敗れるまで約100年に渡って、北條早雲など北條五代の拠点として繁栄しました。

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これから春の桜シーズンを迎えると、多くの花見客が訪れる小田原城。天守閣の展望台は高さ約60m。

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かつて小田原城内の動物園には日本一高齢なインドゾウのアイドル、ウメ子がいました。2009年に62歳で死去。

この城の天守閣は、築城当時のまま残っている「現存天守閣」ではなく、明治維新で廃城になった後、昭和35年(1960年)に鉄筋コンクリートで作られた「復興天守閣」。一昨年くらいから、地元ではこの天守閣に関する記事がメディアを賑わせています。

再建から50年以上が経った現在、天守閣は耐震工事の必要な時期を迎え、古い鉄筋コンクリートを新たなコンクリートで補強するような工事が、2016年までに行われる計画でした。しかし、一昨年、「昔の小田原城のような木造の天守閣をつくろう!」という声があがったのです。その主は、かまぼこ店、鮮魚店、和菓子店、梅干し店、立ち寄り温泉施設など、小田原の地で商売を営む市民たちでした。

かつては県西部を代表する観光地として栄えた小田原も、次第にシャッター商店街だらけの寂しい地方都市になりつつあります。まだ、今なら。もう、今しか。いざ、今こそ。そして彼らは、熱い思いを胸に立ち上がったのです。

全長2里半(約9㎞)にも渡って、城を中心に堀と土塁で城下町を囲んでいた小田原城の総構(そうがまえ)は、全国的にも一、二を争う規模。また、その中に近世と中世の遺構がミックスしているところも、およそ500年の歴史がある城ならではの特徴です。

そんなに素晴らしい文化遺産を、もっとたくさんの人たちに見てもらうためにも、鉄筋コンクリート製「復興天守閣」ではなく、木造の天守閣をつくろう。町づくり、人づくり、ネットワークづくり、そこからはじまる地域や地元経済の活性化まで含めて、小田原をもっと元気にしよう。そこには、さまざまな思いが込められていました。

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信玄や謙信も落とせなかった難攻不落の堅城として名を馳せた小田原城。今も街の中心にあり、城内の広場ではよく大きなイベントが開催されています。

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天守閣の正面にそびえる常磐木門。中はガラスの美術館です。

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コメント

  1. 3ページ目第3段落2行目「伝説の宮大工宮本常一」とありますが、「西岡常一」の間違いですよ。
    宮本常一は民俗学者です。

  2. ご指摘くださいましてありがとうございました!
    西岡さんと宮本さんを間違えるなんて大変恥ずかしいミスです。
    修正させていただきました。

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