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自分の足元にある地面のことをカジュアルなかたちで再現したい、と前のめりに作ってきた「食べられる地図」シリーズ。地層ムース地図グミに続き、今回は等高線をたどり地形を模したケーキを制作してみました。

山手線内最高峰の山はどこにある?

地図には、実際には存在しないけれど便宜上描かれる“決まりごと”がいくつもあります。田や果樹園などのポイント記号や、行政界や等高線などの線記号など。それら記号のなかでも、例えば行政界は現実には“存在”しないのに、地図内での“存在”はとても大きい。そのギャップの不可思議さに、これまで地図グミや、地図アクセサリーを作って個人的にフィーチャーしてきました。

それと同じように“存在”しない線記号である等高線も、地形図では大きな存在感を放っています。そこで今回はこの等高線にぐぐっと焦点を当てたいと思います。

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富山市五色ヶ原近辺の地形図(国土地理院発行1/25000)。茶色い線が等高線。山岳地帯はこのように等高線で埋め尽くされています。

等高線とは、同じ高さの点の集まりでできる線のこと。一般的に街の地図にはあまり描かれていませんが、山や谷の多い登山用の地形図にはよく登場します。同じ高さを結んでいるので、線が混んでいるところが急傾斜で、離れているところが緩い傾斜となります。それにしても、自然の造形をトレースするとこんなにも美しい図形になるのか、といつも見惚れてしまう。しみじみと美しいですよね、等高線。

今回は、この等高線をたどって地形を模したケーキを作ってみます。制作する場所として考えたのは、標高差があり等高線がきれいに層を成すエリア。ということは、やはり山でしょう!と、都内にある気軽にアクセスできる山をいくつか地形図で調べてみました。

え、都内に山?と思われるかもしれませんが、そう、都内にも低いですが山はあるんです。よく知られているものでは港区芝の愛宕山や、北区の飛鳥山。また浅草の待乳山は標高が10mと都内で一番低いのですが、ちゃんと三角点もあります。そのなかで今回は、山手線内最高峰、標高44.6mの箱根山を中心としたエリアに決めました。

高さ重視で選んだ箱根山でしたが、たどっていくと興味深い歴史がざくざくと。この箱根山がある新宿区戸山公園一帯は、江戸の中頃に尾張藩徳川家の下屋敷として庭園が造られた場所でした。江戸時代の庭園としては最大且つ華美なもので、なかには渓谷や泉池を含む25もの景勝地をしつらえていたとのこと。そして中央に掘られた大きな池の残土を盛ったのが、現在の箱根山(当時の名称は「玉円峰」)なのです。自然の造形ではなく人が築き上げた山だったんですね、箱根山は。

さらには、この庭園には他に類を見ない特徴が。それは小田原宿を模したリアルな疑似“宿場町”が作られていたこと。“宿場町”には36軒もの茶屋や米屋、弓屋など各種店が並び、なんと園内だけで使える通貨もあったそう。今でいうテーマパークが江戸時代にこの地にあったのです!時の将軍がここで庶民の気持ちになって買い物ごっこをしていたなんて、リアルに想像できすぎて時空を飛べそうです。

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山の麓の看板にある「戸山尾州邸園池全図」。左方向が北です。

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google地図を左に90度回転させて、上の図と並べてみました(クリックすると拡大します)。赤い点線で囲ったのが庭園の推定エリア。巨大さが分かるでしょうか?

そして明治に入ると、がらっと様相が変わってこのエリアは陸軍の軍用地になり、研究施設や地形を利用した射撃場が作られます。戦後は箱根山を含む一帯のみが公園として残され、戦災者の住宅供給目的で建築された戸山ハイツや、学習院や早稲田などの学校等に土地が利用され、現在に至ります。時代によってこんなに変化の大きいエリアだったとは!思わぬ歴史の厚みに実作への熱意も高まります。

それでは、地面に加えて歴史の層も厚い箱根山を頂点として、北にある神田川に向かってなだらかに標高が下がっていくさまをケーキで表現してみたいと思います。

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