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私は摂食障害で、ものが上手く食べられない問題を抱えて生きてきました。

いま42歳で、発症したのが15歳のころですから、27年間苦しんでいることになります。

高校生のころ、家庭が大変な時があり、ソレは始まりました。
夜中に起き出して、ごはんを炊いては、それを平らげ、トイレで全部吐くのです。味つけは醤油だけ。食パンを一斤食べることもありました。美味しいとも何とも感じませんでした。自分が何故そんなことをしてしまうのか、自分でも分かりませんでした。

母に助けを求めたことがあります。しかし、「お前はそんなことはしない子よ」と、聞かなかったことにされました。家が大変だったので、娘のケアまで出来なかったのだと思います。

そのあと、私は普通の食事も吐くようになってしまい、17歳の夏休みに、15キロほど痩せてしまいました。吐いては寝て、吐いては寝て、それだけの夏休み。天井の模様だけ覚えています。休み明けには、スカートのサイズが合わなくなり、サスペンダーで吊っていました。

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摂食障害の人に多いと思うのですが、菜食メニューに興味があります。こちらは以前紹介した「不思議なカレー屋さん、タピ」より、菜食トマトのカレー。

大学生になると、過食嘔吐に加え、拒食がやってきました。食べ物をまともに食べるのが怖いのです。学食では野菜スープだけを飲み、ごはんはいつも残していました。当然、体重は減ります。骨と皮になって、あばらが浮き出ても、「私は太っている」と思っていました。鏡を見るのが嫌で、写真を撮られるのも嫌いでした。醜形恐怖でした。

ごはんを食べずに済んだ夜には、不思議な達成感がありました。辛いことをやりとげたんだ、痩せるなんて幸せだ、と。

そのころから、下剤の常習犯でした。規定量の何倍も、下剤を飲むのです。食べたものを少しでも出したいのです。

そのうち、下剤を飲まないと、お通じ出来ない身体になってしまいました。
どうしてそうなってしまうのか知りたくて、卒業論文は「摂食障害」をテーマにしました。当時は文献がたいへん少なく、翻訳本、『過食と女性の心理―ブリマレキシアは現代の女性を理解するキーワード』(マーリンボスキン・ホワイト著)を参考にしました。過食を診断・治療してきた記録、分析や治療方法などが実例とともにまとめられている本でした。

卒業論文には、過食のメカニズム、自分の体験談と今後の治療に向けての思いなどを書いたのですが、結局のところ、分かったことは、発症のきっかけも治し方もハッキリ分かっていない、ということでした(当時)。

精神科医もやっている担当教官に相談しに行ったら、お茶を出してくれました。砂糖とミルクが置いていないことにホッとして、そのことを話すと、「そうそう、摂食障害の子が、砂糖でカロリーをとることに苦しむから、そうしてるんだよね」とのことでした。

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記事「ここ五日間『グリーンスムージー』を飲んでみた」より。グリーンスムージーのようなものなら、吐かずに安心して飲めます。

大学を出たあとは、過食嘔吐だけが残りました。過食して吐く、普通に食べたごはんも、半分以上吐く。誰にも知られないようにさっと吐く。

苦しくて苦しくて、26歳くらいの時に、医師に相談したことがあります。
「いまの段階では、吐くことに罪悪感を持っちゃ駄目。吐いてもいいんだ、と、自己肯定するのが大事。吐いてもいいんですよ。」
それで少し楽になりました。

30歳を過ぎても、私は吐いていました。世界には食べ物に困っている人もいるのに、と思うのだけれども、どうしてもどうしても吐いてしまうのです。
加えて、絶食する癖も出来ました。自分が嫌でたまらない時、食を断つのです。最長10日間やりました。10日間もやると、歩けなくなります。近所のコンビニに行こうとして、10歩づつ歩いてはしゃがみこんで休んでいたのを思い出します。自己流では絶対やっていけない長さでしたから、ひどいことをしていたなと思います。

何十年も嘔吐していると、胃酸で歯がボロボロです。のどを裂傷する人もいるそうです。
私は私が好きではありませんでした。

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記事「駆除したシカをジビエ料理にして里山を盛り上げよう」より。生きるためにものを食べるわけなので、屠畜にも興味あります。

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